祖母との大切な思い出を、振り返る
2026/03/03
「あんたは物事がちゃんとできない子だから、私が導かないといけないんだ」
藤色の髪を凛となびかせ、私を厳格に律し続けた祖母。
小学校1年生の私を1時間以上も厳しく真顔で「世の中の役に立つ人間になりなさい」と説き、一歩でも筋を外せば烈火のごとく叱り飛ばす。私にとって祖母は、圧倒的な「畏怖」の対象でした。
「人生に失敗はあり得ない」という美学を貫く祖母は、不器用な私を一人前の人間に磨き上げようと、文字通り命を懸けていました。それは祖母なりの、あまりに不器用で必死な「愛」だったのだと、今ならわかります。
27年前、私が母となり、次男が幼稚園児だった頃。
祖母は私の家へ泊まり込み、約一ヶ月という月日を、私たちと共に過ごしました。
授業参観にも遠足にも、自らの足でしっかりと歩いて付いてくる。その鋭い審神者(サニワ)のような目で、「この子は、三人の命を預かる母親として、正しく歩めているか」を、生活の細部まで見極めていたのです。
そんな濃密な一ヶ月の終わり、私たちは祖母に縋(すが)るように言いました。
子供たちは「おばあちゃん、ずっと一緒に暮らしたい!」とはしゃぎ、喜び一杯の笑顔とながら
「おばあちゃん、私も一緒に暮らしてほしい」
私自身も心から私達家族と一緒に暮らして欲しいとお願いしました。
厳格だった祖母の目から、スッと鎧が落ちたのを感じました。
厳しくしすぎた自分を、孫が、ひ孫たちが、こんなにも求めてくれている。
一ヶ月、私のすべてを見届けた祖母は、静かに、深く頷きました。
「……これで、安心して見ていられる」
それは、私の愛が、祖母の「正しさ」を包み込んだ、最初で最後の「合格通知」でした。
役目を果たして、自分の家に帰った途端、それまでの張りが解けたように祖母は動けなくなりました。
「失敗はあり得ない」と信じていた祖母が、たった一度だけ、下の世話を私に委ねたことがありました。
「失敗する人生が来るとは、情けない……」
そう漏らした祖母の言葉には、一生を捧げて守り抜いたプライドが、私への信頼によって溶けた瞬間でもありました。
そして、電話での最後のお別れ。
祖母は、初めて胸の奥の真実を口にしました。
「小さい頃から、厳しく躾して、ごめんね。……あんたが私にあまりにもそっくりだったから、怖くて、厳しくせずにはいられなかったんだよ」
祖母は、自分と同じ「強すぎる力」を持つ私の中に、自分自身の影を見て、私を「失敗」させまいと必死だったのです。
でも、最後は私の「一緒にいたい」という願いに、すべてを預けてくれました。
あれから27年。
58歳になった私は今、おばあちゃんの気配を、不思議なほど何も感じません。
あの日、おばあちゃんが安心して私の中に溶けていった、究極の信頼の証なのだと確信しています。
おばあちゃん、見てて。
あなたと過ごしたあの一ヶ月が、今の私の「調律」の礎(いしずえ)です。
あの電話越しの「ごめんね」は、今、私の人生を支える最強の「誇り」となりました。
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